私にも、妻子可愛さに、見悶えて苦しむことがある。 煩悩だとは、わかっているが。
私の霊感は、他の五感と比較すると、嗅覚か触覚に近い。 近いだけで、そのものではない。 若いころは、その感覚が理解できなかったが、祈りの場所、遺跡遺物で反応することから、少しずつ、その意味がわかってきた。 霊感の視点から、宗教学や文化人類学では…
鶏肋を惜しいと思う心。
苦しみを癒すのではなく、苦しみを増すものを言う。
恨みを抱いた相手を、許す必要などない。 そもそも、誰かを許すの許さないだの、貴方が決めるハナシではない。 許そうと思うから、余計苦しくなる。 ただひとつ、相手に対する、執着を捨てなさい。
仏門で修行しなさい。 少なくとも、修行している間は、キモくて金のないことなど、どうでもよくなる。
遍路行を続けて気づいたこと。 仏教の修行は、艱難辛苦に耐えることではない。 艱難辛苦に至らないように、工夫することである。 一切皆苦ではあるけれども、自ら苦を更に背負う必要はない。
仏教は苦を解く教えであり、科学ではない。 科学ではないから、客観的世界を分析しない。 そもそも、万人が理解しえる、客観的世界を想定していない。 なぜなら、私が認識できる世界と、 貴方が認識できる世界は、明らかに違うのだから。 宗教とは何か? 宗…
日本語訳の経典でもよいから、きちんと読んでご覧。 釈尊は、在家相手と、出家相手で、ハナシを使い分けている。 相手の世界観にあわせながら、道を説いている。 輪廻転生は、その次元で把握すべきハナシだよ。 それ自体は、地球が丸いかそうでないか、みた…
若いころの師匠は、座禅を組む神父だったので、キリスト教にもかなり触れていた。 今では殆ど紐解くことはないが、キリストの伝にある、荒野の誘惑は、宗教家が持戒すべき要素が凝縮されている。 信仰を飯のタネにするな。 自らを崇拝させるな。 悪魔にひざ…
釈尊は成道後、なぜ、釈尊は世俗に帰らなかったのだろう。 王に戻り、転輪聖王にならなかったのだろう。 僧のままでいたのだろう。 きっと、世俗が求める善と、宗教が求める善は、また異なるものだ。 ではなぜ、寺院は、世俗が求める善を祈願するのだろう。 …
日本は大乗仏教の国なので、特に利他を説く。 自利とは利他のことなり、ともいう。 でもね、利他って何だろう。 宗教の利他の「他」は、世俗の人だけでなく、あらゆる生き物である衆生を示すはず。 仏の利他は、世俗の人にだけ目を向けているのではなく、あ…
名前:Tauler 勤め人。不惑を超え、妻子あり、老父母あり。 思うことあり、実家の菩提寺とは異なる宗派で、昨年得度を受ける。 仕事から少しずつフェードアウトして、僧籍を視野に入れつつ、第二の人生を考慮中。 思春期から、視覚で「見える」ことはなくて…